エストニアの病院で目が覚めてからの病院食は、毎日・毎食こんな感じ。
苦手な芋が多かった。
生きてるだけで OK 何だから、文句を言ってはいかんけど。
未来の 100 人の一人である
若ーーーい、かっちょいい先生と、帰国 OK をもらって、ご機嫌なオジサン。
先生、助けてくれて、ありがとうございました。
病院の方々との通訳をやってくれていた、エストニア人のエリさん
いろいろありがとうございました。
テスラに乗って、病院から、タリン空港へゴー☆
エストニアから日本へ帰国するには、どのルートが一番身体に負担なく帰国が出来るのか?
CP THAI LAND の miro と調べた結果、フィンランドのヘルシンキを経由すれば、中部国際空港セントレアまで、フィンエアーが毎日就航している事が分かった。
Finnair
https://www.finnair.com/jp/jp/
ワンワールド(JAL系ね)は、殆ど利用しなぁと思いながらも、そんな事を言ってる余裕が無いので、フィンエアーに即決定。
タリン・ヘルシンキ間は、近すぎて小さなプロペラ機でしたが、ヘルシンキから中部国際空港セントレアまで快適な空旅で帰国をした。
ヘルシンキでも、セントレアでも、miro が、空港内の移動に車椅子を用意してくれたので、歩くこと無く、病人らしく大人しく車椅子で移動した。
セントレアからは、はまぞうの sano が、迎えに来てくれたので、そのまま浜松医科大学病院へ。
自分は、軽い検査の予定でしたが、ダメーーーとそのまま緊急入院させられてしまった。。。
帰国して、篤実の昼まで、検査ばかりで、水以外は食事禁止の札を貼られてしまい、ストレスマックス。
食べる代わりにと、点滴をズブズブ打たれながれ、翌日の検査を終了。
知ってか知らずか、日本帰国後の初の食事は、食べたかった日本のカレーを用意してくれた。
ありがたい。美味しくかった♪
その後も、検査・検査・・・・
静脈と動脈から、カテーテル検査という事で、終了後も止血の為に手が使えないだろうと
カテーテル検査の後は、ちゃんと
箸が使えなくても良いようにと、おむすび形式でお米を用意してくれた。
更に夜は、お刺身付きだ。
40 年、50 年前の病院食とは、天と地の差で、病院食が美味しくなっていたのには、びっくりした。
最低 2 ~ 3 週間は、入院する事。と、自分より遥かに若い、浜松医大の先生方に、繰り返し云われたけど
交渉に交渉を重ね、
めでたく退院しました。
心肺蘇生時に、本気でやってくれたおかげで、肋骨と胸骨が折れまくっているそうで、痛みが結構酷い。
サポーター等を巻く方法もあるそうですが、痛みを忘れないように、サポーター等は無しで自然治癒力に任せましたので、一気にスパートは出来ませんが、
助けて頂いた感謝を忘れずに、これからも生きていきます。
命を救って頂いた皆さん、ありがとうございました。
PS. キーボードが上手く打てませんので、誤字・脱字そして、時間がメチャクチャかかるので、お返事含め暫く、ご容赦下さい。