20年超の沖縄の思い出(ハーレー、猪木酒場、2000円大使、、、)

ののの

2025年01月13日 18:18



最初に沖縄に来たのは、42 年前の 3 月かな。当時、空港が無い静岡県育ちだった僕は、初めて飛行機に乗って、沖縄県石垣市小浜島へ行った。まだ、ジェット料金が加算される時代だった。、石垣島から小浜島までは、漁船だった。

それから 20 年後に、ビジネスで沖縄に来た。そして、135万人のライターとカメラマン募集!として、沖縄で「てぃーだブログ」を立ち上げた。

ライター募集!定員135万人+α
沖縄を伝えるカメラマン募集!

コロナになって、宜野湾市から豊見城市へと引っ越した。コロナ禍で、海外への渡航が叶わず沖縄にいる時間が長くなった。

渡航禁止が解禁されて直ぐにベトナムに行った。

昨年の 2024 年は、毎月ベトナムの地方都市バリア=ブンタウに行った。

昨年末に、バリア=ブンタウにアパートを借りた。

いよいよ、バリア=ブンタウを中心に動くことになる。


沖縄では、宝物に囲まれた生活だった。

好きなモノを飾るとなれば、ハーレーグッズ

チョロっと見えている、ハーレーダビッドソンで日本中を回った時に訪れた、「石ノ森章太郎ふるさと記念館」と「石ノ森萬画館」で、ライダーグッズ。



50 歳の年に、アメリカ横断を絶対にやるつもりでいた。

勿論、ハーレーダビッドソンに乗って、ルート66を通って西から東へ

ゴールは、アメリカ・ウィスコンシン州 ミルウォーキーにある「ハーレー・ダビッドソン博物館」

念願叶う!ハーレーダビッドソン・ミュージアムにやって来たぞー

世界中の鉄馬乗りがやりたい事を、僕は出来なかった。

僕は、50歳から、1年遅れて

シカゴからレンタカーを借りて、ミルウォーキーに行った。

ハーレーダビッドソンでアメリカ横断は叶わなかったが、ハーレーダビッドソンミュージアムでも、ハーレーグッズを山盛り買った。

60歳を過ぎた僕が、夢を実現出来るか分からないが、伴走車付きで、死ぬまでにルート66を自分のハーレーダビッドソンで走ってみたい。



スペル・デルフィン選手が立ち上げた「沖縄プロレス」。立ち上げ当時、プレレスが好きでたまらない僕は、スポンサーになった。

てぃーだでも全力応援した。

そして、スペル・デルフィン選手から貰った、マスクも僕の宝物だ。

今は、大阪府和泉市の市議!



未だに見たことが無い人がいるらしい「二千円札」。

日本銀行那覇支店の当時の支店長から、二千円札大使に任命され、普及の為にこんなカードも持って活動していた。

最近出た新札は、、、まだ慣れずに玩具のお金に見えてしまうが、二千円札は新札同様未だに使えない自販機や両替機があるという不思議な紙幣だ。

財布に入ってますか?



那覇市に「アントニオ猪木酒場」があったの覚えてますか?

行ったなぁ何度も

闘魂とは、己に打ち勝つこと

人は歩みを止めたときに
そして挑戦を諦めた時に
年老いていくのだと思います。


アントニオ猪木 『道』
この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ。


この言葉が、大好きだ。

沖縄には少ないが、浜松には猪木の貯金箱から、オリジナル時計他、様々な貴重なグッズがあるぞ。



そして、OCA の OKINMAWA 自社店舗は、先週閉店した。

今後は、沖縄で OCA の商品が買えなくなるの?

いえいえ、まだ未公開だけど

近日、OCA のカカオは必ず沖縄の誰もが知っている老舗の銘店にて

ベトナム国バリア=ブンタウ省の逸品も含め、並ぶ時がくるだろう。

お楽しみに~

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ベトナム・バリア=ブンタウ省から、日本の皆さま、世界の皆さまへ

最高のオーガニックカカオを、ご提供する事をお約束します。

We are going to the world with the staff of Vung Tau OCA VIETNAM CO.,LTD.
And Connecting dots and Create Life !!

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