マレーシアに20年余、国民に支持される会社を訪問
マレーシアの潜在能力に驚きを隠せないのですが、ここマレーシアでうちの会社の目指す「地域に必要とされる会社」を20年以上も実践されている FUKUSHIMA ASTIC(M) SDNBHD. を訪問させて頂いた。
一緒に写っているのが、天野社長。60歳との事ですが、その元気さパワーは凄いものがあった。とても物腰柔らかいのですが、動きが俊敏・話題も豊富で会話が面白い。マレーシアを愛してやまないその姿勢と仕事の考え方に魅了された。
親会社は、日本の大阪にある株式会社アスティックフクシマで、創業者・歴代の経営者の理念をしっかりと受け継ぎ業種は違うが目標にしたい会社がそこにあった。
FUKUSHIMA ASTIC(M) SDNBHD.
LOT 1215 Jalan Perusahaan1 Kws Perusahaan
Batu17 48000 Rawang Seiangor D.E Malaysia
FUKUSHIMA ASTIC(M) SDNBHD. は、クアラルンプール中心部から車で数十分の静かな郊外にある。この日は、雨がひどく降っていたこともあり結構な渋滞のなか、訪問した JETROマレーシアまで車でお迎えに来て頂いた。
感謝!感謝!
生産工場を見学させて頂くと、いろんな人種の方々が働いていた。マレー系、インド系、中華系、、、100人以上の従業員がいる中で、日本人は天野社長一人だけとの事だった。
驚いたのは、天野社長が初めてマレーシアに来たのは23年前。当時は、社長では無かったのですが、その時に働いていた方が今もなお、ここで働かれているとの事だった。
日本では結構当たり前に思えるかもしれませんが、ASEAN地域・アジア地域でこれだけ長い期間同じ場所で働いているのは、本当に珍しい。今回、訪問したASEAN諸国の企業の社長さんが口々にいつかない、帰属意識が無い・・・と嘆いていた。うちの会社も例外では無い。
天野社長は、良いも悪いもと言っていましたが、僕は素晴らしい事だと思う。
それにしても、皆さんニコニコしながら仕事をしていた。
いろんな国の方々がいるので、工場内では勿論英語がコミュニケーションで普通に使われている。
応接室に飾られていた賞状。
入り口に飾られていた盾。
本社であるアスティックフクシマの50周年記念の写真が一番目立つ場所に飾られていた。
ここには、50周年と書かれていますが、今年なんと 70周年なのだ。
凄すぎる。
会社で一番大切なのは、膨大な利益を出すことでも従業員規模を大きい事でも無い。
継続する事。
70年と言えば、2世代、3世代だ。
尊敬以外に無い。
50年後を常に考えて経営するべし。
会社の組織図が、入り口を入って直ぐの場所に写真付きで貼られている。こうした組織図を明確にする事は、とても大事だ。
うやむやで会社を運営してはいかん。
「守りの陣形」と「攻めの陣形」を、時によって組み替える。
今は、強烈な激安な中国がマレーシアにも押し寄せているそうで、「守りの陣形」と言っていた。
会社を訪問した後、外国人が多く住むエリアで懇親会を開いてもらった。
九州工場にいる時に、日本での定年を基に喜んでマレーシア現地法人の社長になったそうだ。会社への恩返しをしたいと言っていた。
また、マレーシアが本当に好きなようで、年に2回ほど日本へ帰国するそうですが、マレーシアの空港に到着した時に、あー帰ってきたと一番ホッとするんだそうだ。
ここが成功の秘訣だなと思った。
野澤さんも、半年も住めば分かりますよって言葉が印象的だった。
MM2Hビザ申請するかな。
株式会社アスティックフクシマ
http://www.e-astic.co.jp/
僕は、50年後の次次世代のモノ達の為に、縦に横に道を進めておきます。
マレーシア・クアラルンプールの出張記録
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・初めてのクアラルンプール。ひょえーすげーよ
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マレーシアの潜在能力に魂が激震だ
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マレーシアに20年余、国民に支持される会社を訪問
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マレーシアは、IT 先進国。世界初 4G モバイルが始まる
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マレーシア・ブキッビンタンにある Lot 10 のフードコート
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マレーシア・ブキッビンタン駅前の交差点
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クアラルンプールでも新鮮な和食が食べられる
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ブキッ・ビンタン通りは、沖縄国際通りに似ている
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クアラルンプール、KLモノレールの乗り方
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マレーシアの高速道路をタクシーで走る
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クアラルンプールのタイムズスクエアは、遊園地もある
・ベルジャヤタイムズスクエアホテル クアラルンプール
・ベルジャヤタイムズスクエアホテルのプール
・ベルジャヤタイムズスクエアホテルのレストランとか
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