2015年10月18日
「ライラックの軌跡」今日(10.18)が最終日、バイカー・浜松の皆さん行かないと後悔するよ

日本のバイクの聖地である浜松市。浜松市から半径 300km 以内のバイク乗りの皆さんは、時間を何としても作って「ライラックの軌跡」を観る事をお勧めします。見逃したら絶対に後悔するよ。
うちの 88 歳になる爺さんも、懐かしがっていた名車中の名車「ライラック」。浜松の昔を知る大先輩方も、是非どうぞ!
先月から浜松市博物館で「ライラックの軌跡」が大好評で開催されている。最後の週末という事で、名車ライラックをお腹いっぱいになるまでジックリと楽しんできた。ホンダ・ヤマハ・スズキは知っていても、丸正自動車製造株式会社を知っている人は、かなりのバイクマニアか、僕らの大先輩方だと思うが、ライラックの先進的且つ斬新な技術とデザインは、今でも復活をして欲しいとオッチャンライダーは切に願う。
会場は、予想通り僕らの大先輩方が大半で在りし日のライラックを懐かしむ声が会場のあちこちで聞こえてきた。
ライラック友の会
http://lilac-tomonokai.com/
今日のブログは長いよ。数百枚も写真を撮ったので、今日はライラック(丸正自動車)の概要をご紹介。一日で紹介しきれないので、明日もライラック決定☆

53 年間浜松市に住んでいますが、浜松市博物館に入館するのは実は初めて。
僕が子供の頃は、この辺りは竹藪ボーボーの場所だったんだよね。

初めての浜松市博物館。常設の浜松市の歴史展示の他に、テーマ展が定期的に開催されているようだ。
入館料は、大人 300 円。
浜松市博物館
〒432-8018 静岡県浜松市中区蜆塚 4 丁目22-1
tel : 053-456-2208


出迎えてくれたのは、丸正自動車が一躍有名になった 1953 年に大ヒットした「ベビーライラック JF」。
今でもこのデザインで発売されたら絶対に売れるね。ライラックのデザインってどれも、素晴らしい。デザイナーが先進的だったんだね。

「ライラックの軌跡」のテーマ展の入り口に、堂々と座られていたのは「ライラック友の会」の皆さん
これだけの台数・種類のライラックを一堂に集めるのは本当に大変だったそうだ。
大先輩ライダーの皆さんが、大事にライラックを保有し乗り続けて来てくれたおかげで、50 年以上も前の名車達の現役の姿を間近で観る事ができるのだ。
ありがとうございます!!
数年前に訪れたアメリカ・ミルウォーキーの「ハーレーダビッドソン・ミュージアム」に匹敵する今回のライラック展だと思う。

こんな機会が次にいつ実現するか分からないので、当然ライラック・グッズをゲットした。
ライラックの軌跡の冊子 300 円
ライラックのイラスト・ポストカード 400 円

この方が、丸正自動車製造株式会社(のちの株式会社ライラック)の創業者である「伊藤正」さん。1913 年(大正 2 年)生まれだ。

ホンダ創業者の本田宗一郎氏のアート商会で修業を開始。

丸正自動車の第一号車「ライラック ML 」(1948 年)では無いが、自動クラッチを取り入れた「ライラック LC」(1952 年)。フレームの形状は、ほぼ同じ。滑らかデザインの三角フレームが本当に美しい。ホンダとは、デザインが全く違う。
丸正自動車のライラックは、チェーン(ベルト)駆動では無く「シャフトドライブ」なのだ。これも拘りだ。

歴代のライラックが、ずらーーり

一台一台、写真を撮りまくったので、明日以降をお楽しみに

最終モデル「ライラック R92」の水平対向 2 気筒エンジン
水平対向エンジンと言えば、ドイツの BMW が直ぐに頭に浮かびます。BMW のエンジンを参考にしたとされますが、静粛性を高め 5 本リングなど独自の工夫があり中身は全くの別物だそうです。
このエンジンの形状も美しいですね。

バイクの聖地である浜松市にオートバイメーカーが、どれだけ存在していたでしょう。
その数なんと 35 社。
丸正自動車も、ホンダそして多くのオートバイメーカーは、”六間道路”沿いに会社があったんだよね。これは有名な話。
六間道路は、直線・ヘアピン・急勾配の坂がある為に、バイクの試走にドンピシャだったから。
凄い時代だなー
ホンダやライラックの新型バイクをテストライドさせている動画って残っていないのかな??観てみたい

丸正自動車は、積極的に広告宣伝を行っていたので、こうした雑誌が沢山残っている。あの長嶋茂雄さんを起用していたって凄いよね。
ずら~っと雑誌が展示されているので、それだけでも楽しめるよ。

伊藤正氏は、本田宗一郎氏と分かれる事になるのですが、当時の本田宗一郎氏がどれだけ厳しかったがが分かる事が書かれている。
100 人が入社して、そのほとんどが途中で辞めていったそうだ。
詳しくは分かりませんが、昔も今も世界一になる人は強烈ですね。アップルのジョブスを思い出してしまった。

丸正自動車の社歌

当時の作業着や、工具・製図道具なども展示されていた。
懐かしい人にはたまらないね。

ここにも、ライラックがずら~
どれもカッチョイイ

丸正自動車が、倒産してしまうキッカケとなってしまった、「ライラックモペット AS71」(1960 年)。
これも、今売りだせば絶対に売れるデザインだね。ライラックのセンスは素晴らしい。
業務提携先との提携解消から、あっという間に倒産。。。モペット発売後、僅か 1 年って、何事があったのだろうか?

欲しいな~コレ

まだまだ沢山のライラックが展示されていますが、このブルーのライラックは幻の名車「ライラック C103」。何故ゆえに幻の名車と言われるのか。1964 年の第 11 回東京モーターショーに試作車として展示されましたが、ライラックの倒産によって、市販されなかったのだ。
凄い貴重なライラックだ。
現在は「ライラック友の会」で大切に保存しているとの事ですが、この機を逃したら、実物を観る事は出来ないかもしれないよーーー

これは、カフェレーサーにカスタムされたライラック
オーナーさんが、熱く語っていた。

これもセパハンのレーサータイプにカスタムされたライラック
飾っておくだけでは無く、ライラックは今も現役で走ってるって事だよ。
公道を颯爽と走っているライラックに遭遇してみたいな。

株式会社ライラック、最後の市販車「ライラック R52 セル付き(マグナムエレクトラ)」(1966 年)。アメリカにも輸出され、水平対向 2 気筒で排気量493CC 最高速度 160km/h だ。ホンダとは絶対に違ったバイクを作ると最後まで一貫して拘ったシャフトドライブ。
商売は下手だったのかもしれませんが、エンジニア魂溢れる方ですね。

浅間を走った、伊藤史郎氏を真ん中に、優しい顔が印象的なライラック創業者の伊藤正氏、そしてホンダ創業者の本田宗一郎氏。
ライラック友の会の大先輩が、本田宗一郎氏がスパナを手にしているのが、上手に描いているだろ・・・と笑っていたのが印象的だった。アート商会当時の本田宗一郎氏は、本当に怖かったって事だろう(多分

Soul Again
LILAC forever
本当に、あと 10 年
僕は、20 年かな
早く生まれていれば、ライラックに乗っていただろう
明日(10.18)が最終日
浜松の皆さん、バイカーの皆さん、絶対に観に行った方が良いですよ。