2022年08月07日
沖縄のミライへ!尊敬する沖縄の師が語る「挑戦こそ、人生の師」

沖縄における僕の師でもある、S さんと数年ぶりに再会した。
ここは、那覇市にある波の上ビーチ。とても綺麗なビーチが整備されている。
お会いして、既に 20 年近いが、出会った時から豪快で、S さんと話をしていると、とても楽しい。
覚えているかな?
台風ボランティア。沖縄に来た観光客が台風で飛行機が飛ばず、空港で寝泊まりして、嫌な思いで帰って欲しくないと発足した。沖縄の音楽を楽しんでもらったり、民泊を受け入れたりと、台風が近づいたら、那覇空港に集合だった。
クリーン沖縄キッズ。子供たちと一緒に、名護から那覇まで、バトンを繋ぎなら、道路のゴミ拾いをやった。
大変だけど、猛烈な実行力で、「暴走公務員」と自他ともに認める方なのだ。
今は、「波の上ビーチ」の清掃を、ず~~~~~っと続けているそうだ。
流れ着いた軽石との戦いは激烈だった(今も続いている)そうだよ。

この黒いスジのようになっているのは、
外から流れ着いたゴミや軽石
これを分別するのだそうだ

ず~っとやり続けている証のゴミ袋は、延々と続く

沖縄に来たばかり(2004年)の頃、僕の話をまともに聞いて、理解し、期待して、応援をしてくれた人は少ないどころか皆無だった。
S さんは、既に沖縄県の要職に着いていて、沖縄の事を常に考え、スケールが大きな話が出来る人だった。
24時間365日、いつでも電話 OK だったし、いつでも電話がかかってきた。沖縄の変わり者(笑)の人達を沢山紹介してもらった。
沖縄では全く無名で、信用に足りない男(僕)に興味を持って「テビチ会」に誘ってくれた。確か開始時間は、19時だったかと思うが、沖縄時間もあってか、定時に来る人は殆どいなかったが、深夜までの間に、沖縄の面白い人達が夜な夜な集まってきていた。
何をするでも無く、ママが作る「てびち」を食べて、泡盛を飲む。宮古の人が多く(S さんも宮古島出身)途中から必ず「オトーリ」が始まった。
その頃は、浴びるように酒を飲んでいたので、最後まで飲み続けていたっけ。が、殆の人は、トイレに行くと言いながら、1 人消え、2 人消え、、、僕と S さんだけが残る事も多かった記憶がある。

さて、
沖縄で、物を動かすこと(輸出入)、有機(自然農法)に拘る事、
そこまで拘らなくても・・・もっと現実を、、、などと言われ
自らを問う時間が増えている。
S さんは、何も変わっていなかったどころか、
年齢を全く感じさせる事も無く、
身体の年齢は、なんと「59歳」だと、まだまだ気力も漲っていた。
口だけの人が多い中で、今なお
実践し続けている S さん。

あなたも、書かせてもらったよ!と笑って渡された本。
沖縄の師に”盟友”と言って頂く僕は、師と共に沖縄の未来に向かって進めないハズは無い。
Posted byのののat00:08
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