2019年10月28日
バリア=ブンタウのコンダオ諸島で学ぶベトナムの歴史
シンチャオ♪
ベトナムのバリア=ブンタウ省のコンダオ諸島にやってきた。日本人は勿論、当事者であるフランス人・アメリカ人の殆どが知らないだろうベトナムにとって非常に悲しい黒い歴史がある。
美しい海に囲まれベトナム最後の楽園の一つと呼ばれるコンダオ島へは、現在 3 つの交通手段がある。
・ホーチミンシティから飛行機で、45分。
・ブンタウから双胴高速船で、約 3 時間。
もう一つの方法が、ブンタウ空港からヘリコプターで、約 1 時間ちょい。
観光ヘリコプターを含め、人生で未だ一度もヘリコプターに搭乗した事が無いので、今回は RED SUN から僅か 5 分のブンタウ空港からヘリコプターで、コンダオ諸島へ!
飛行機に搭乗するのと同様に、セキュリティチェックの他にヘリコプターという事もあって、全員が体重を測定される。
更に、搭乗者(約20人)全員が、緊急時のビデオで学習し、救命具をガッチリ付け且つ騒音で耳をやられないように、ヘッドホンを装着する。
ヘリコプター機内は、とても狭く離陸前から着陸までヘッドホンを装着しているので話も出来ず、足も伸ばせずただただ苦行(笑)
離陸から約 1 時間で、コンダオ諸島が見えてきた。
おーー流石に海が綺麗だ。期待が高まる。
小型なので、かなり揺れるのかな?と思ったが、天気が良かった事もあってか、フライト自身は殆ど揺れず着陸も上手で快適だった。
コンダオ諸島は、16 の大小さまざまな島からなり、コンダオ空港があるソン島が最大の島になる。
聞くと、ベトナム軍は他の島にも駐留をしているが、民間人が住んでいるのはソン島だけだそうだ。
Con Dao Airport
https://www.vietnamairport.vn/condaoairport/
宿泊先のコンダオリゾートホテルまでは、送迎のバスで約 25 分くらいだった。周りに何も無い一本道。
予想通り、何も無い。
まだまだ、ソン島を一周する道路も完成しておらず、この島自体が未だ未だ未開拓なのだ。
至る所に、建設中で途中で止まった?のか、こういった建物があった。
が、後で地元の方に聞くと、今コンダオ諸島のソン島は建設ラッシュで土地が一気に上がっているそうだ。
現在のソン島の街の中心部は、左右に 2 km 弱、縦に数百 m あるかどうかなので、僕のようにテクテク頑張って歩けば、一日で全て回る事が出来る。
但し、日差しと照り返しで、真っ黒けになる事も忘れずにご注意下さい。
夕方近くから、ソン島を走り回るクラシックなデザインの電動モビリティ(EV タクシー)でせっかくなので案内をしてもらった。
絶対に行くべきなのが、コンダオ博物館。
バリア=ブンタウ省出身で結婚してコンダオ諸島のソン島に住むことになったという写真の彼が、コンダオの歴史を教えてくれた。
Con Dao Musuem
No.10 Nguyen Hue Street, Ba Ria-Vung Tau Province, Vietnam
Web Site が無いので、Trip Advisor の Con Dao Musuem
コンダオ島は、流刑地である。が、普通に考えると人を殺めたとか物を盗んだとかいう犯罪者だと勘違いするが、ここに収監されていたのは、政治犯の人たち。
政治犯と書くのは、当時統治していたフランス・アメリカ側から見た時の政治犯という事だ。
ベトナムの方々からすれば、自由を求めベトナム独立の為に立ち上がった革命家であり英雄だ。
ここで、約 2 万人もの志高き優秀なベトナム人の方々が命を落としている。
知識が浅い僕が書くと間違えがあっては、いけないので下記のガイドなども参考にして下さい。
コンダオ博物館でコンダオの自然と収容所の歴史を学ぼう
https://vietnam-navi.info/article/bao-tang-con-dao
コンダオ島にある8つの収容所跡を訪ねて流刑地としての歴史に触れる
https://vietnam-navi.info/article/8-prisons-con-dao/2
優秀なベトナム人の方々である事が分かる資料として、収監されている状況で手書きで書かれたノートが多数展示されている。
収監中も、常に勉強をしていたようだ。
このようなベトナムの頭脳となるような方々が、次々と収監(20万人)され命を落として(2万人)いったことは、少なくとも日本で学習する機会はない。
歴史にタラレバは、ご法度だが、この方々が存命だったらと考えてしまう。
コンダオ博物館でも、特別なのが、この女性。
僅か 13 歳からベトナムの自由・独立の為に戦い始めたのだそうだ。そして、19 歳で処刑。。。
ヴォー・ティ・サウ(Võ Thị Sáu)
ヴォー・ティ・サウ(ベトナム語: Võ Thị Sáu / 武氏六、1933年 - 1952年3月13日)、本名グエン・ティ・サウ(ベトナム語: Nguyễn Thị Sáu / 阮氏六)はフランスのベトナム支配に対してゲリラ戦を行ったベトナム女学生。彼女はフランスに逮捕され、1952年にコンダオ刑務所(英語版)で処刑されたが、その後ベトナムの国民的英雄と称えられた。(Wikipediaより)
コンダオ島には、当時の刑務所が管理され修復工事が行われている。
Con Dao Prison
Web Site が無いので、Trip Advisor の Con Dao Prison
下記は、この写真の刑務所とは別の刑務所の中の様子だ。かなり衝撃的
看守達は、鉄格子の上から、
収監されているベトナム人に対して
こんな酷い事をしていたそうだ。
脱獄されないように、ビール瓶などの破片が塀にはかためられている。
900 人ほどの収監者が、脱走した事があるそうですが、捕まえられ処刑されたそうだ。
左側が、上記の上に鉄格子が付いている牢獄で、右側は
なんと
天井が無い。
雨ざらしなのだ
牢獄の中では、常にこうして痛めつけが行われていた。
酷すぎるね
特に、フランスの植民地時代が酷かったそうだ。
写真を掲載するのは止めましたが、ある刑務所の所では
家畜として刑務所で飼っている牛の糞尿を、受刑者にかけいれる独房のようなものがあった。
そして、そこで亡くなっていったのだそうだ。
こうした方々の墓地が、街の東側にある。
Hang Duong Cemetary
Nguyen An Ninh, Ba Ria-Vung Tau Province 790000, Vietnam
Web Site が無いので、Trip Advisor の Hang Duong Cemetary
ここには、植民地時代に自由への革命に尽力した方々が祀られている。
ヴォー・ティ・サウ(Võ Thị Sáu)さん
昼間には殆ど人がいなかった墓地に
夜になると、沢山の人達がお参りにやってくる。
この日は少ないとの事ですが、数百人は来ていただろう。
夜の 0 時に、願い事を唱えると、願いが叶うと言われ
ベトナム各地から、コンダオ島を訪れる人が沢山いるそうだ。
僕も、ベトナム・バリア=ブンタウにとって求められ、ベトナムの皆さんが幸せ且つ豊かになる事を必ずやり遂げると誓わせてもらった。
この黒いどころか、真っ黒の歴史は
殆ど世界で知られていないのでは無いだろうか?
コンダオ博物館に展示されているモノは、ベトナム語と英語で表記されている。
フランス語でも情報発信をするべきだと強く思う。
さて、
コンダオ諸島には、素晴らしい自然が残っている
以前、多くの観光客が来過ぎて、ゴミ問題と水不足問題が発生したそうだ。
この地は、ベトナムにとって特別な場所だと思う。
荒らされる事無く、荒す事無く、計画的に島の開発を行って欲しいと思う。
ベトナムでビジネスをさせて頂く外国人(もちろん日本人含む)の人達は、一度は訪れ歴史を知り向き合う必要があると感じた。
ホーチミンシティから車・船で約2時間の自然溢れるブンタウの街の情報が満載
ブンタウ GO
http://vungtau-go.com/
Posted byのののat00:08
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